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外国語習得の壁 異言語間における概念の違い

外国語の勉強を進めていくと、いずれ外国語と日本語の間の言語に対する概念の違いに悩む時がくる。

ここでは言語間の概念の違いと、それにどう対処すべきかを考えてみることにする。

 

異言語間の概念の違い

英語に限らず外国語を勉強する時に感じる大きな壁が言葉の裏側にある概念だろう。異なる言語間では、同じ意味を表す語でも少なからず概念が異なるものである。

初歩のうちはまだいい。まだ言語のレベルが低いからである。言語のレベルが低いというのは、「犬」といえば犬そのものを指し、「猫」といえば猫そのものを指すというように、ある程度は1対1の対応が可能だ。

ちょっと意味合いが違うが、例えていうなら「犬というのは、あのような動物である」とか「猫というのは、このような動物である」と犬や猫の姿を思い浮かべることができればいいのである。

もう一段階上になると「犬というのはイヌ科に属する哺乳類で、四足歩行をする動物である…」などとなる。猫の場合も同様である。まあ、これは言語を学ぶという観点からするとそれ程重要でないかもしれない。

もっと難しいのが「犬」や「猫」という言葉の裏側にある文化的、あるいは歴史的に培われてきた概念である。「犬」や「猫」などを表す語でも、日本語と様々な外国語では、その語に含まれている意味が全く同一であるとは限らないということである。

そのため、同一ではない可能性を常に念頭に置いておかなければならないと思うわけである。

イメージとしては、こんな感じだ。例として日本語と英語、それにタイ語をあげる。

 

日本語と英語、そしてタイ語を例に異言語間の概念は異なることを表した図

言語間の違い

 

「犬」や「猫」などの簡単な語でも、言語により概念が異なることもある。

例えば、日本語の「アヒル」と「カモ」は、英語では「duck」と訳される。日本語の2つの言葉はイメージが異なるが、英語では同じものなのである。

お寺の池でカモが泳いでいるとしよう。ほとんどの日本人にとって、お寺の池ならアヒルではなくカモの方がしっくりくる。しかし、英語では「duck」である。「duck」となると、どうもイメージが違う印象だろう。

簡単な語でさえこのような調子なので、動きを表す語や感情を表す語、あるいは抽象的な語となると概念が乖離するケースも多いのではないかと思う。つまり、上の3つの円が重なる部分が少ないということである。

この概念の違いというのは、文化の違いや風土の違い、あるいは様々な「モノ」に対する人間の関わり方の違いなど、いろいろな理由が考えられる。感情の起伏の激しい国民性の国では、「怒る」とか「喜ぶ」を表す語が豊富ということもあり得る。

実際、エスキモー(現在、カナダでは「エスキモー」は差別用語となっており、「イヌイット」という言葉を使用する)では「雪」や「氷」を表現する語がいくつもあると聞いたことがある。

 

タイ語の「孫」についての考察

異言語間の概念の違いについて、タイ語と日本語で異なるという1つの例を示したいと思う。

タイ語に「หลาน(ラーン)」という語がある。辞書で調べれば「①孫、②甥姪」とある。もしかしたら教材によっては「孫」の意味しか載せてないものもあるかもしれないが、厳密には2つ、いや日本語と比較した場合は

の3つあることになる。

それでは「หลาน」という語を日本語に訳す場合、無条件に辞書の第1の意味である「孫」としていいものだろうか?これは間違いだ。「หลาน」は孫、あるいは甥や姪を指す語なのである。このような意味を表す日本語にはないだろう。

この「หลาน」という語は一見似た様な語が日本語にあるが、完全に一致する日本語はない。つまり、タイ語の「หลาน」と、それに比較的近い日本語の「孫」「甥」「姪」の概念は相当異なることとなる。

「孫」を「หลาน」と訳すのはOKだ。

しかし、「หลาน」を「孫」と訳すのは、必ずしも正しいとは限らないのである。正しい日本語に訳すためには該当する人物が「孫」なのか「甥」なのか、はたまた「姪」なのか、人間関係を把握する必要がある。もし前後の文章や会話から人間関係を把握できなければ、「หลาน」とは「หลาน」という存在なんだ、と思うしかないわけである。

これと同様、前述の英語の「duck」にしても、「duck」は「duck」という概念なのである。

親族を始めとする人間関係が絡む言葉は、タイ語だけではなく他の外国語においても上記のようなケースが非常に多い。文化的な背景が大きく関係しているのだと推測される。

 

まとめ

最初にも書いたが、これは別に英語やタイ語を学ぶ時だけの問題ではない。他の外国語を勉強する時も必ずでてくる問題である。

このような時は頭がすっきりしないものである。しかし、あまり思い悩まず、素直に概念の違いを受け入れ、外国語の勉強を進めていくしかないのだろう。