MLB(メジャーリーグ)での活躍により、日本でも大谷翔平に関する報道が非常に増えた。しかし、その多くはアメリカ現地での報道を引用し、少しばかりの感想を付け加えるだけの安易な記事である。このような記事は個人のブログの域を出ないばかりか、質的に劣る場合もある。
それでもアメリカで報道されていることについて正確に伝えているのなら、それはまだましなのかもしれない。中には現地で報道された英語の記事を誤って伝える酷いメディアもあるからだ。
「大谷登板日の極寒試合中止は怪我させないための忖度だったと米報道」という記事があった。カンザスシティ・ロイヤルズ対ロサンゼルス・エンゼルスの試合が寒さのため延期になった試合に関しての報道である。
MLBは大谷に怪我をさせないために試合を延期したのか?
ロイヤルズ対エンゼルスの試合が延期されたことに関し、下記のような記事が掲載した。
この記事はYahoo!ニュースやライブドアニュースにも転載され、多くの人が読んだのではなかろうか。この記事の前半部分は、下記のようになる。
エンゼルスの大谷翔平(23)が先発予定だった15日(日本時間16日)の敵地でのロイヤルズ戦は天候不良で中止になった。カンザスシティは強風で雪が舞う寒さだった。当初は、悪天候にもかかわらず試合の開始を試みたが、予定の30分ほど前に中止が発表された。
USA TODAY紙は、この中止を巡るメジャーリーグ機構とロイヤルズ球団の悩みについて触れている。「メジャーリーグは彼らの気持ちを変えて、ゲームにおける最高のマーケティング商品を保護した」
大谷が、先発する試合なので、どうしても試合を行いたかったが、メジャーリーグにとっても大事な宝となっている大谷を守るために中止を決断したことをほのめかしている。
同紙は「一部の選手は、ジャッキー・ロビンソン・デーのテレビ中継で大谷が先発するので、自分たちは試合をしなければいけないのだろうと思っていた。けれどもショーはキャンセルされた。これも、大谷が投げるからかもしれない。もし、大谷が気温1度、体感温度マイナス8度の天候で、ピッチングをして怪我でもしたら、メジャーリーグ機構はどのように説明するのか、想像ができるだろうか」と述べている。
大谷を守るために“忖度中止”だったわけだ。
簡単にまとめれば「寒い気温の中で試合を行い、大谷が怪我でもしたら大変なので、MLBは試合を中止(実際は延期)した」ということだ。
しかし、大谷は今年のMLBの顔であり、人気に陰りのある野球を盛り上げるための注目の1人であるとしても、MLBがたった1人のルーキーの怪我を心配し、試合を延期するものであろうか?
このような疑問が出てくるのも当然のことであろう。事実を確かめるため、この記事の元となったUSA TODAYの原文を読んでみることにした。
案の定USA TODAYには全く違うことが書かれていた。
USA TODAY の報道
下記がUSA TODAYの記事である。
USA TODAYの記事の内容を簡潔に言えば、なかなか試合延期の決断をしなかったMLBに対する軽い批判である。
この記事によると、ロイヤルズの関係者は午前中に試合を行える天候ではないことをMLB側に伝え、試合延期の要請をした。しかし、MLBはこれを認めなかったのである。
この経緯はロイヤルズの地元のメディアである THE KANSAS CITY STAR.に詳細が載っている。
THE KANSAS CITY STAR.によれば、ロイヤルズとエンゼルスの関係者は午前中ずっとMLB側と試合延期について話し合っていた。両球団側は体感温度が低すぎて試合延期を希望していた。
しかし、MLBは試合を決行したかった。なぜなら、この試合が全米で放映される上に、MLBのマーケティングとして最適な大谷が投げるからである。
そのため、MLBは試合開始直前まで試合を延期するという決断ができなかった。最終的に試合開始の30分前にMLBから試合の延期を両チームにゆだねるという連絡が来て、開始25分前に延期が決定した。
ロイヤルズのゼネラルマネージャー、デイトン・ムーア(Dayton Moore)は「I wish we could have made the call earlier.(もっと早く連絡して欲しかった)」と述べている。
これはもっともなことである。球団や球場のスタッフが試合のための準備をしなければならなかったし、選手のウォームアップを済んでいただろうから。また、少ないながらも試合が行われるものだと思っていた観客も入場していたからだ。もっと早く試合延期が決定されていれば、無駄なことをする必要もなかったのだ。
これら2つの英文の記事から分かることは、そもそもこの日は野球ができる天候ではなかったことだ。試合延期は悪天候のせいであり、大谷には全く関係がないことである。そして重要なのが、このような状況の中でMLBは試合をさせようとしたことである。
試合延期が決定されるまでの流れ
USA TODAYとTHE KANSAS CITY STAR.の2つの記事を読むと、ロイヤルズ対エンゼルス戦の試合延期に至るまでの流れが分かる。そのプロセスは次の通りである。
ロイヤルズ、エンゼルス「寒いので試合は無理。MLBに延期を申し入れよう」
↓
MLB「延期は認めない。試合は行え」
↓
選手「こんなにひどい天候なのに試合しなきゃいけないの?」
↓
ロイヤルズ、エンゼルス及びMLBは試合延期について協議を続ける
↓
MLB「全国放送で大谷が投げるんだぞ。試合は行え」
↓
両球団関係者と選手は試合のための準備を行う
↓
(試合開始30分前)MLB「天気がひどいなら延期してもいいよ。そっちで判断して」
↓
(試合開始25分前)ロイヤルズ、エンゼルス「試合延期」
↓
ロイヤルズGM「もっと早く延期の決定してよ!」
そう、MLBは大谷に忖度して試合を延期したのではない。むしろ、たとえ悪天候の中でも試合を行いたかったのである。話題の大谷を視聴者に見せたかったということもあろうが、今年のMLBは寒さのため試合の延期が多いというのも大きな理由だろう。
英文を読解できなかったTHE PAGE
英語の原文の記事では「試合を決行したかったMLBへの批判あるいは皮肉」という内容にもかかわらず、日本語に訳した記事は「大谷を守るための忖度中止」となってしまった。これは何が原因なのだろうか?
USA TODAYの英文記事には、いくつか「would」や「could」などの仮定法が使われており、文章自体が多少難しいことは事実である。しかし、根本的にはTHE PAGEの記事を書いた者の英語読解力が劣っていることが原因だ。
まずTHE PAGEの「メジャーリーグは彼らの気持ちを変えて、ゲームにおける最高のマーケティング商品を保護した。大谷が、先発する試合なので、どうしても試合を行いたかったが、メジャーリーグにとっても大事な宝となっている大谷を守るために中止を決断したことをほのめかしている。」という文章であるが、USA TODAYの下記の部分に相当する。
It could have been Major League Baseball’s worst nightmare, a calamity of epic proportions.
Instead, the folks at MLB mercifully changed their minds and preserved the greatest marketing commodity in the game.
上記の英文を分かりやすくするために文章を補って意訳すると
「(大谷を投げさせていたら、彼が大怪我をするという)MLB史上最大の悪夢が起きたかもしれない。しかし、MLBは(試合を決行するという)考えを改め、試合を延期することによって(最終的には大谷という)優れたマーケティング商品を守ったのだ。」
ということになる。
THE PAGEでは見のがしている「It could have been ~」から始まる文章を考慮すれば、「MLBのマーケティングのために試合をおこなっていたら、そのマーケティングとなる大谷が大変なことになっていたかもね」という記者の皮肉であることが分かる。
また、「一部の選手は、ジャッキー・ロビンソン・デーのテレビ中継で大谷が先発するので、自分たちは試合をしなければいけないのだろうと思っていた。」という部分は USA TODAY では下記の文章になる。
Several players wondered aloud earlier in the day whether they had to play simply because Ohtani was scheduled to start for the Angels, in front of a national TV audience on Jackie Robinson Day.
上記の英文なら、少なくとも下記のように訳すべきだろう。
「一部の選手は、ジャッキー・ロビンソン・デーに全国の視聴者の前で大谷が先発するからといって、俺たちは(こんな悪天候の日に)試合をしなければいけないのかと不満を漏らした。」
この文章を理解できれば、仮定法を使用した文の意味も予想がつきそうなものだが、THE PAGEの筆者は英文を正しく読解できなかった。
その結果が「大谷を守るために“忖度中止”だったわけだ。」という、何ともお粗末な結論になってしまったのである。
しかしながら、取材をせず、海外の記事の引用だけで商用の記事を書くのだから、せめて誤訳はやめてもらいたいものである。