ざきログ

Zakki Log - つらつらと、気になることを綴ってみます -

誰でも分かる「グローバル」と「インターナショナル」の違い

いつからか「インターナショナル(international)」という言葉に代わり「グローバル(global)」という言葉が使われるようになった。2つの語は同じような意味と理解し、それらの違いを意識せず、「インターナショナル」に代わる新しさを感じる言葉として「グローバル」を使っているケースも多いのではないだろうか。

しかし、2つの言葉には明確な違いがある。

 

 

グローバルとインターナショナル

金融用語としての「グローバル」と「インターナショナル」

グローバルとインターナショナルの違いは、投資の世界の用語としては明確である。世界の株式に投資し、運用するファンドの運営者がいるとしよう。日本を基準で考えると、運用する株式に日本株を含める場合は「グローバル」で、日本株を含めない場合は「インターナショナル」である。

グローバル…自国も投資対象とする
インターナショナル…自国は投資対象としない
この定義は明確であるが、あくまでも投資に関連する場合の定義であり、金融の専門用語といえよう。

 

「グローバル」と「インターナショナル」の違いを説明したサイト

それでは、一般的に使用される場合のグローバルとインターナショナルの違いは何であろうか?両者の違いについて説明している下記のサイトがある。

 

gimon-sukkiri.jp

 

サイト名は「スッキリ」であるが、ここに書かれている説明を読んでも、内容が曖昧で全くスッキリしないのではないだろうか。

このサイトでは「グローバル」企業の説明としては

 

「グローバル」企業とは、国籍を問わず優秀な人材を社員に採用するような企業を指します。例えば、オランダの「グローバル」企業が日本に拠点の1つを置いたとき、トップがアメリカ人であることもあり得ます。

 

と書かれている。また、「インターナショナル」企業については

 

「インターナショナル」な企業とは、国籍を重要視するような企業を指します。例えば日本の「インターナショナル」な企業がオランダに拠点を置いた場合、従業員はオランダ人だとしても、重要な役職は日本人です。あくまでトップは日本から派遣された人が努めます。 

 

である。

この説明が論理的でないことは、すぐに分かるだろう。日本に現地法人を持つオランダ企業があり、日本の現地法人の社長がアメリカ人だとしよう。このアメリカ人が何らかの事情で会社を辞めることになり、急遽親会社からオランダ人の社長を迎えることになった。この場合、グローバル企業だったオランダの会社は、社長の変更に伴いインターナショナルな企業に変わってしまうのである。そんなことはあり得ない。

また、「グローバル」と「インターナショナル」の違いの具体例として、次のように説明しているサイトもある。

 

日本人がアメリカ人と日本で英語で商売をするという場合は「インターナショナル」の方が相応しい気がしますし、日本人がアメリカに行って、韓国人に韓国語で商売をするなどということがあれば二国間ではないわけで「グローバル」な仕事と言えるのではないでしょうか?そのように考えますが、読者の皆様いかがでしょうか?

 

「日本人がアメリカで、韓国人相手に日本語で商売したらどうなるんだ!」という突込みを入れたくなる衝動に駆られる説明だ。

上記のサイトのように、「グローバル」と「インターナショナル」の違いを明確に説明したものはネットにはないと考えた方がいい。

 

具体性を欠くグローバルの説明

「グローバル」と「インターナショナル」の違いが曖昧になる原因は、2つの言葉を辞書に記載されている、言葉の意味だけで理解しようとするからである。そして、辞書に書かれた一般的な意味を元に、各自が勝手に類推しているからだ。

しかし、グローバルという言葉の裏には、思想としてのグローバリズムがある。そのため、思想の用語としてのグローバルの意味を理解しなければ、グローバルの本当の意味は分からないのである。

 

グローバルの裏にはグローバリズムあり

キーワードは「1つのルール」

グローバリズムのポイントは「1つのルール」である。どの国であろうとも、どの地域であろうとも、1つのルールに従うということだ。

ここがインターナショナルと大きく異なる点である。インターナショナル時代の多国籍企業は、拠点のある国のルールを尊重するが、グローバルな観点から見れば、各国の特殊なルールは尊重すべきものではなく、むしろ邪魔な存在なのである。

 

アメリカにおけるグローバリズム

グローバリズムの考えを初めて政策に盛り込んだのは、アメリカ民主党のクリントン政権である。

アメリカでは「欧米(西洋)と言われ、アメリカとヨーロッパは一括りにされるが、本当にアメリカとヨーロッパは同じなのか」という疑問があり、この点について民主党系のシンクタンクが本格的に研究を始めた。

この研究の結論は、「アメリカとヨーロッパは違う」ということだ。この研究の核心は、「アメリカは多文化共生に成功しており、ヨーロッパでは多文化共生に失敗している」ということである。ヨーロッパでは民族の衝突があり、争いが絶えないが、アメリカではそのようなことはないというのが、その根拠である。

そして、この研究から導き出されたものは、「多文化共生に成功している我々(アメリカ)のやり方は世界に通用する」ということである。極論すれば、「世界はアメリカに従え」という俺様ルールがグローバリズムなのである。

 

国家のグローバリズム

ここでは国家のグローバリズムについて具体例をあげてみたい。

一国が政策にグローバリズムを取り入れたとしても、周りは主権を持つ独立国家である。そう簡単には「俺様ルール」を受け入れてはくれないのは当然のことだ。しかし、一部のルールを受け入れざるを得ない状況にすることは可能である。その一例がセカンダリーサンクション(secondary sanction)である。

アメリカはキューバやイラン、北朝鮮などに経済制裁を行なっているが、一国で経済制裁を行なっても効果は限定的である。例えば、アメリカが軍事的に転用できる製品をイランへ輸出することを禁止しているとする。しかし、日本などの第三国がアメリカから該当する製品を輸入し、それをイランに輸出した場合、実質的にアメリカの禁輸は意味がないことになる。

この場合、アメリカは該当する製品をイランに輸出している日本をイランと同等とみなし、日本にも経済制裁を行うことになる。これがセカンダリーサンクション(二次的制裁)である。

アメリカとイランの問題は日本には関係ないが、日本がアメリカからのセカンダリーサンクションを恐れ、イランとの取引を自主的にやめた場合は、実質的にアメリカは、日本をアメリカの法に従わせたことになる。

国家のグローバリズムとはこのようなことである。

 

企業のグローバリズム

次に、企業のグローバリズムについて考えてみる。

現在、完全なグローバル企業は存在しない。しかし、少しずつグローバリズムが浸透していることは間違いない。ここでは企業のグローバリズムに関し、いくつかの例をあげてみたい。

 

在日キューバ大使宿泊拒否事件

2018年、ヒルトン福岡シーホークで、在日キューバ大使が宿泊拒否を受けるという事件が起こった。

 

www.sankei.com

 

キューバはアメリカから経済制裁を受けている。そのため、アメリカ系のホテルであるヒルトン福岡は、米国法に基づきキューバ人の宿泊を拒否したのであろう。

この事件は、非常にグローバリズムの問題を含む事件だ。キューバ大使の宿泊拒否を決定したのは、当然ながら一担当者の気まぐれな判断ではない。ヒルトンでは、そのような社員教育をしているということだ。

米国系の企業に勤務している方なら分かるだろうが、米国の企業では年に1回、米国法に基づいたビジネスルールの研修がある。ほとんどがオンラインで行われると思うが、この研修ではビジネスを行う上での禁止事項などを確認することになる。

このビジネスルールは、ほとんどが「賄賂を渡してはいけない」など、常識的なものであるが、中にはアメリカ特有のものもある。おそらくヒルトンでは、特定の国籍を持つ者の宿泊を禁止するような研修を行っていると思われる。

ヒルトン福岡の担当者は、研修で学んだビジネスルールを忠実に守っただけであろう。

 

海外でも起きているキューバ人宿泊拒否

実は、このような事件は海外でも起きている。上記の朝日新聞デジタルの最後に、メキシコ市内の米シェラトン系のホテルが、キューバの政府代表団の宿泊を拒否したことが書かれている。

また、ヨーロッパでは、ノルウェーのオスロにあるヒルトン系のホテルが、キューバの政府代表団の宿泊を拒否したこともある。

 

www.reuters.com

 

このようなことはグローバルを目指す企業、特に米国系の企業なら、世界各国どこででも起こり得ることである。なぜなら、アメリカの法律を犯した場合、米国系の企業そのものが罰を受けるリスクがあるからである。

 

グローバル的人事評価

上記の例は国家のグローバリズムも絡んだ例である。その他にもグローバリズムは、企業に様々な影響を与えている。

例えば、人の評価の方法である。外資系多国籍企業の日本法人を念頭に考えてみると、従来、社員の評価は日本法人独自の評価方法で行なっていたが、社員の評価を全世界で統一する方向に変わりつつある。

社員の評価をAからEで評価するなら、従来は日本法人内でA〜Eの評価を割り当てたが、これを各国にある事業所全体で割り振るということになる。つまり、AとBの評価を他の国の法人の社員に持っていかれ、日本法人の社員はCからEの評価しかされないということもあり得るのである。

しかし、このグローバル的な人材評価は難しい面もあり、このような制度を取り入れようとしている企業も試行錯誤しているというのが実情だろう。

 

変貌する組織

グローバリズムは企業の組織の在り方にも変化を与えている。従来の組織では、多国籍企業の現地法人の社長は、その現地法人の各部門を掌握していたが、グローバル化した組織では、必ずしもそうとは限らない。

現地法人の各部門は、組織図の上では現地法人の社長の下になるが、実質的には本社の各部門の下になることが多々ある。例えば、日本にある米国系企業の現地法人に勤務する経理部長がいるとする。その経理部長の職制上の上司は、その現地法人の社長であるが、実際はアメリカ本社の経理部長が上司ということも多いのである。

この場合に問題になることがいくつかあるが、最も問題なのが現地法人の社長とアメリカ本社の経理部長の意見が異なった場合であろう。現地法人の経理部長は、どちらに従うだろうか?通常は、実質的な上司であるアメリカ本社の経理部長である。

このようなケースは、別に経理部門だけではない。他の部門についても同様である。このような点を考慮すると、グローバル企業の子会社の社長というのはたいへんである。部下のようで部下でない人たちに囲まれているのだから。